2013年2月4日月曜日

Holy Land



















約5ヶ月程の制作期間を経てエルサレムの作品が出来上がった。
非常に長い道程だった。

僕はある都市を歩く時に決めていることがあり、それは
街をどう彷徨い、どう迷えるかということだ。
それは実際街の様々な場所を歩いてみないと見えてこないものが非常に多いからだ。
あらゆる驚きの中に思いもよらない発見があり、これは体感することでこそ得られる。
部屋の中で世界を知れる時代に、僕はこの想いを大切にしているし、常にそういった“実感”を得続けることこそ幸せな生き方だと思っている。
その街が持つ渦の中に身を溶け込ますようにエルサレムを旅した。

人が集まる場所には眼には見えない何か凄まじいエネルギーが渦巻いていて、
そのなんだか得体の知れない気を身体の中に通すことによって、旅に行く前まであった脳に生息する熟しきった細胞に穴がピューーっという音をたてて開き、ぱんぱんに膨れ上がった風船がみるみる萎んでしわしわになるような感覚が僕は好きだ。

エルサレムには3つの異なるの宗教の聖地でありそれぞれ信仰対象が違う人々が同じ街に生きている。
言葉、食べ物、考え方、作法、休日、服装、そして宗教観など同じ街にいながらそれぞれ守るべき規律がある。
ここまで統一感のない街は他に類をみないのではないか。。
たとえばユダヤ人が多く住むエリアから一本道を挟んで隣のアラブ人エリアに行くともう別の雰囲気の世界が広がっているし、アラブ人が運転するタクシーに乗って場所を告げると、ユダヤの地名だからわからない、アラブの地図は持っているかと聞いてくる。
「ありがとう」一つとってもエリアによってアラビア語、ヘブライ語、英語と使い分けないと少し場の空気が悪くなることもしばしばあって。。
たいていある都市を歩くときはその街の言葉を覚えて少し会話するとそこから関係性が始まるのだが、宗教的にリベラルな立場の僕にとってはどこの宗教に軸を合わせればいいかかという戸惑いが常にあった。3つの異なる浴槽が常に目の前にあって、肩まで浸かりたいのにそれぞれに半身浴をしてる感じというか。。
だから僕はずっと外国人であったし、外国人でいようと思いながら歩いていた。
こんなことは今まで初めてであったが、自分の民族が恋しくなり、故郷についてよく考えていた。実際姉とも長電話したし、母親とも何度も電話した。。

一つの街に存在する異なる“気”は、今までにない特別なものであった。
 迷宮の街エルサレム、また訪れたい。
“トダァ” “シュクラン”   “サンキュー”