2012年10月11日木曜日

Big Bern


High Way Blue





















Jerusalemに来て2週間ほどが経つ。
今回はSwissVeveyの滞在後そのままこの街に来たから日本を離れて現在1ヶ月程になる。
Jerusalem-
僕はこの街を足を使って体感している。どうやらそういう癖がいつのまにか身についているようだ。歩く行為に特別な意味を持たせると、非常に面白いと感じたから。

このプロジェクトを始めて約10年が経とうとしている。考えてみるとその10年間日本の四季を欠かさずにいたことがない。大阪の出版社で働いていた2年間でさえ、仕事で1年の内1回は日本を離れていたので、10年間四季皆勤賞はもらえていない。おそらくこの先もそうであろう。それはどこか寂しい想いがあるのか。んん..そうではない、ふと湧いてきたというようなそんな感覚。。
おそらくこの街に来て、毎日歩きながら色々な場所に行き、人と触れ合う中で、エルサレムという街の中に1つの国が存在しないように感じたからではないかと。多くの破壊と再建を繰り返しながら、しかもそれが今も現在進行形で進んでいる街、三大宗教の聖地エルサレム。この街には異なる宗教を信仰する人々が同じ一つの街に共存し時には対立しながら生活している。同じ国でありながら言語や習慣、考え方、食べ物、休日、服装と非常に多くのものが異なっている。おそらく観光バスに乗りツーリスティックな場所だけをみるのでは分からないのだとは思うが、僕が歩きながら一番思ったのは、各エリアごとに流れる時間だと思う。皆が共有している同じ時間が、ここでは同じように時を刻んでいないように感じたのだ。
世界の国々の中では、発展途上国と先進国ではその国が刻んでいる時間が違っているということは多いにあるが、ここでは各エリアごとに違う。
ほぼ敬虔なユダヤ人しか住んでいないメアシェアリームというエリアに行くと、ここはどこの時代にタイムスリップしたのかというような気分になる。
男性は山高帽かハットに真っ黒なフロックコートで、しっかり蓄えた髭に、もみあげは長くカールを巻き、女性は全身肌の露出しない服装に身を包んでいる。見渡す限りほぼ全て。子供までもが同じようにしている。彼らは聖書の立法の全てを忠実に守りながら暮らしていて、カメラなど電子機器などを非常に嫌がる。それは偶像崇拝を禁止しているからだとのこと。
まぁとにかくそんなエリアがあると思えば、若者が多くいる場所では原宿のような場所があったり、ローカルなアラブ人が住む場所の小さなファラフェル屋で食べてると、あれよあれよと子供達が集まってきて、まるで宇宙人でも見たんかいというような口あんぐり顔で代わる代わる覗きにきたり。。
1つの国の中の1つの街にいながら様々な時間と様々な顔を持っている。こんな街は他にはないのではないか。

この街に住む人々の意識の中には母国というものをどう捉えているのか、僕は非常に気になっている。

この街を歩きながら日本の四季を想うとは、、やはり発見がある。
そういえば僕の祖母が以前「四季を想う」という本を出していた。
古くから日本に伝わる四季折々に食べられてきた伝統的な料理を紹介したもので、これがまた良い本なんです。(余談だ)
最後に祖母の本の宣伝かいっとお思いの方、ご安心を。もうどこにも売っていません。。
どうしても見たいという方はご一報を。

ついついちょけて終わりたくなるのも癖づいている。。
僕は足を使って街を体感している。それは非常に自分にとって意味があると思っている。
その意味は全てその道中にあり、言葉を文章におこす時には少し気持ちの温度差があるが、言葉を並べて行く道中もそれと似ててよし。
明日からも道中を想う。